コラ!玄太

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相手を想う気持ち

南米・グアテマラで、新型コロナウイルスの影響で学校に通えなかったりインターネットが普及していない地域の児童に、自作の屋台型移動教室で訪問授業を始めた先生がいると言う(下部リンク記事)。『新しい生活スタイル』の投稿で『人は人と接触するのが本来の姿だ、なんて古臭い事を言う気はない』と書いたけど、根本的には人と人の接触は大切なんだと感じさせられた。

世界的にインターネットを使った会議や授業が一般化されつつある。それに反対する気は全くないが、この記事の画像を見てインターネットって機械的なんだとつくづく感じた。

画像の女の子は、先生が訪問して来る大変さを理解していないかも知れない。でも何時かそれに気付く日が来るだろう。そこに手軽に行えるインターネットの授業では学べない重要な要素がある。先生が児童を想う気持ち、熱意、苦労や葛藤…子供達がそれに気付いた時、彼等は心豊かになるのだと思う。

これは子供に限ったことではない。インターネットを使ったやり取りは機械的で自分も機械的になりがち、誰かとメールしているのにコンピューターと会話している様な感覚に陥ってしまう。

考えてみて欲しい。もし遠くにいる恋人がいたとして、テレビ電話やメールだけで満足できるだろうか?目の前で見る細かい表情や仕草、話の間合いなどから無意識に受け取るものが無限にあるはずだ。インターネットではそこが欠けてしまう。例えテレビ電話でもカメラに向けて構えた視線はお互い微妙にズレている。こう言った要素がネット上の荒らしや誹謗中傷を拡大させてもいるのではないだろうか?

逆に、単なる手続きをしたいだけと言った時に、機械的に済ませて余計な時間や手間を省くことが出来る便利さがインターネットの強みになっている。

強みと弱点、これは利用者の使い方次第。便利グッズにも凶器にも成り、シェルターにも罠にも成り得る。とかく大人は利便性を追求しがちだけど、特に子供には気に掛けて貰う感覚(つまり愛情)が必要だ。今後、世界的にインターネットの依存度は更に高まるだろうけど、そこら辺を上手く使い分けられる大人でありたい。

www.fnn.jp

欲しい情報源

新型コロナの流行が治まる気配がない。都はやたらと夜の街を強調しているけど、新規感染者の半分くらいは感染経路不明。夜の街を強調するのは日中の経済社会の再稼働を妨げないためのフェイント政策か?つまりこれ以上の保証金を用意する余裕が無くなったってこと?などと勘ぐっていた。

 

真相を知れば自分がどう動くべきか判断がし易くなる。でもネット社会の現代、とんでもないデマや無責任な憶測が大量に出回っているので、情報源の信憑性から判断しなくてはならない。とかくこの手の記事は誰かの批判論や責任論になり勝ちだが、そんなものは自分の判断の役には立たない。そういう中で、リンク記事のように世界の情勢や過去の事例まで視野を広く持ち、冷静な分析をしているものは非常に有難い。少し長い記事だけど、政府や自分の置かれている状況を知るための良い参考になった。

toyokeizai.net

デマ?それとも真実?

何だろうね、最近デマやフェイクニュースを信じ込む人が多過ぎる。考えが足りなかったり、逆に深読みし過ぎだったり。どっちにしても自分は全てを知っているって過信から起こる現象なのは間違いない。様々な情報を聴く耳を持っていれば、下記の記事の様な形で命を落とす事はないと思う。

 

時としてメディアの情報は操られている。一方、自分の目の前で実際に起きている事は嘘ではないのも確かだ。ただ自分の目の前で起きている事は、広い地球からすれば極々狭い場所で起きている事に過ぎない。結局誰でも、それ以上の情報はメディアや他人から得ている筈だ。そして自分自身への過信から、自分に都合の良い情報ばかりを集め、都合の悪い情報をデマだと思い込む事によってデマに染まって行く訳だ。

 

偏見の強い人でも客観的な人でも、大人でも子供でも、特別な知識もなく情報を公開出来るインターネット社会の今、何が真実なのかを見極める力を身につけなくてはならない。それが世界の多くの危機を救うことにもなると思う。

 

www.huffingtonpost.jp

新しい生活スタイル

新型コロナが再び広まり出している。これからは新しい生活スタイルを、と言う呼び掛けを良く耳にするけど、どうもシックリ来ない。テレワークを活用し、現金を使わないでカードを利用し、人との接触を減らすスタイル。いや、別に人は人と接触するのが本来の姿だ、なんて古臭い事を言う気はない。でも見直す所は、もっと根本的な所にあるんじゃないかと感じているのだ。

 

2011年、東日本大震災福島第一原発が危機的状態になった時を覚えているだろうか?もし原発が爆発したら日本の今はなかっただろう。そして日本中に反原発運動が広まった。火力発電や水力発電で充分に賄えるという意見をよく耳にした。

 

で、現状である。皆がテレワークに変えてPCとネットワークを使い捲り、金銭の支払いは全てカードによるデータ通信するスタイルに切り替えようとしている。おまけに温暖化も進んでいてエアコンがよく使われるし、車も電気に移行しつつある。これじゃ原発を使わざるを得ない状況になるんじゃない?咽喉もと過ぎれば何とやら、新たな災害が来たせいで10年経たない内に180度の方向転換って言って良いのではないだろうか?まぁ政府としたら原発存続の良い理由になるかも知れないけど。

 

そこに加え最近、想定外の災害がよく起きている。ここ数日で豪雨・洪水災害が起きているし、新種のインフルエンザが流行る可能性もあるらしいし、大地震が来る可能性もある。実際に北海道でブラックアウトって大停電が起きた前例もある。そんな中で生活の全てを電気に頼っていて大丈夫なのか?

 

もっと根本的な所を見直す、これは容易なことではない。でも大災害の度に生活スタイルを社会基盤からコロコロ変えるって無理でしょ。PCや携帯の普及を思い出せば分かると思うけど、生活スタイルって十年以上掛かって徐々に浸透するもの。だから結局、堂々巡りになって混乱するのがオチだと思う。

 

暗闇を明るくしたり、時速100㎞で移動したりと、文明は人の便利さ(=自然の流れに逆らう)のために生み出され、副作用として自然を破壊して来た。でも同時に、自然の脅威には弱く脆いものでもある。そして自然は破壊されればされるほど脅威も大きくなる。つまり文明に頼った生活は、いつか限界が来るって言うこと。それを念頭に『新しい生活スタイル』を考えなくてはならない時が来ているのだと思う。