コラ!玄太

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ホントに環境保護⁉

 突然だが、僕は2007年製のガソリン車に乗っている。中古で10年ほど前に購入し、ハイブリットがさほど多くなかった当時では燃費16.2㎞/L(カタログ値)と極端に悪くはなかった。と言うか、買った時は低燃費車の認定ラベルが貼られていた。でも今では環境保護に於いて悪者と見なされてもおかしく無い代物に成りつつある。

 で、実際の所どうなのだろう?世の中はガソリン車をEV車(電動車)に変換する方向に動いているが、本当にそれが環境保護になるのだろうか?つまり、このままガソリン車に乗り続けるのと、新しく造られたEV車に乗り換えるのでは、どちらが環境に負荷を多く掛けるのか。
 確かにガソリン車は燃費が悪く二酸化炭素を多く出す。でもEV車の製造はバッテリー等に使うレアメタルの採掘から精製、金属素材や樹脂素材の生産、そして自動車メーカーの製造作業などいたる所で尋常ではない量の二酸化炭素を出している。まだ使えるガソリン車を廃棄処分しリサイクルで二酸化炭素を出し、EVに乗り換えた所で、それを環境負荷を抑えたと言うのは無理があると思う。僕は現存のガソリン車は極力使い切り、足りなくなった分だけEV車で補って行くのが正解ではないかと思っている。
 ただこの方法だと自動車の製造量が減って自動車業界が経済的に成り立たない。だから世界各国の政府はガソリン車は廃車するように、代わりにEV車を購入するように仕向けている。車の買い換えは自動車メーカーの儲けのためなのは誰もが知っていることだ。

 同じような事が様々な分野で起こっている。パソコンやスマホ、衣料品等々。世の中、複雑になり過ぎていて、何が正解なのかが見え辛い。
 単純に考えて、環境に全く影響を与えないのは原始的な生活だ。生きるのに必要な物を必要なだけ手に入れ、それ以上を持たない。そう言う原始的な社会は地球上の自然循環の一部であり、全く環境に負荷を掛けない。人類はその流れから大きく外れた社会を築いてしまったから環境が壊れた訳だ。なのに人類は流れから大きく外れた部分はそのままに、環境保護だけをしようとしている。ハッキリ言って無駄な努力だと思う。原始的生活の二酸化炭素排出量でバランスが取れていたのだから、現代社会の排出量を半分にしたってバランスが取れる筈がない。

 今、本当に必要なのは経済中心で考えることを止め、贅沢より必要最低限の暮らしを目標にすることだ。文明に慣れ、贅沢が身に付いた現代人はそこから離れる事が出来ない。何とかそこにしがみ付こうとする。だからこそ世の中の仕組みをリセットし、新しい社会を築かなければ人類に未来はないと思う。
 でもまぁ、人類が滅亡したところで地球は自然破壊された状態から新たな形を生み出すんだろうけどね。