コラ!玄太

コラも弾くシンガーソングライター、玄太のサイト

AI作品の価値

 最近、AI技術の発展が凄まじい。言葉から画像や動画を作ったり、コンピューターウィルスを作るのに悪用されたり、更にそのウィルス対策にも使われたりしている。既に人の能力では不可能な域に達していて、更なる発展を望む人も多いだろう。ただ芸術作品に関しては大きな疑問が残る。
 以前Youtubeで、AIを使って現代風に作られたビートルズっぽい楽曲を聴いたことがある。ビートルズではないが確かにビートルズっぽく、音も現代的で淀みがなく広がりがあった。『こうやって他人が簡単にビートルズっぽい新曲を作れてしまうなら、ミュージシャンなんか必要無くなるじゃん!』と言うことで、世の中では著作権やら何やらでAIを規制しようとしている。まぁ、それ自体は良い事だと思うが、僕は音楽が単なる商品に成り下がっている世の中を非常に残念に思っている。

 僕はビートルズのファンではないが、彼等の活動には感心している。アメリカの人種差別の中で活動していた黒人ミュージシャンの楽曲をイギリスで取り上げ、そこから独自の演奏方法を編み出し、色々な音楽を取り込んで行って独特な世界を築き上げた。そこに至るまでの努力と時間は計り知れないもので、恐らく同じ事を考えても結果まで辿り着けない人の方が多いだろう。それが作品を聴いた人に感動を与え、その人の記憶に大きな足跡を残す訳だ。だから解散から数十年経った今でも人気が衰えないのだと思う。
 それに対してAIで作られた音楽はどうか?『誰でも簡単にプロ級の物を』と言われるほど手軽に作れてしまい、簡単に作っているが故に上手く行かなければ捨ててしまうのも容易だ。これは聴く方にとっても同じ事で、努力せず作られた作品は空間を埋める音としてしか捉えられず、そこには感動の要素は全く生まれない。
 勿論、聴いただけでAI作品かどうか知る術はないかも知れないが、本当に音楽を好きな人はその感動との出会いを望んでいるのだから、AI作品を分かった時点で興醒めしてしまうはずだ。『でも分からなければ、それで大丈夫だったんだろ?』と反論する人もいるだろう。でもそれは、何かの被害に合った時に、加害者からの謝罪文がAIで書かれた物だったら…と言うのと同じ事だ。AIで作られた物には作者の心が入っていなくて、目的を果たすためだけに機械が作った商品に過ぎない。

 別に『音楽はこうでなくてはならない』と言う気はないし、色々な物があって良いとは思う。これまでも商業目的の音楽は腐る程あった。だけどどんなウケ狙いの音楽でも、作者は聴き手の気持ちを想像して何を表現すべきかを考えて作っていたはずだ。そんな思想や考察さえなくAIで作られた物を音楽として世の中で扱われてしまうと、やがては本当に価値のある音楽も埋もれてしまう。そしてそのミュージシャン達も音楽を続けるのが難しくなってしまう。それでは人の生活領域を機械に毒されて占領されるも同然だ。
 これは音楽だけでなく絵画や小説、映画など芸術作品全般に言える事だと思う。例えどんなにAI技術が発展しても、人が機械には作れない感動と言う要素を作り出せる事、それが単なる娯楽ではなく芸術であると言う事を、世の中に理解して貰いたい。

リンク楽曲の歌詞和訳

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『真夏の通り雨』ダウンロード・ストリーミング

 暑い真夏の昼間、陽射しが容赦なく照り付け、風は生温く、日陰はほとんどない。そしてアスファルトからの照り返しが逃げ場を奪い去る。そんな中でデートをする二人に、突然の通り雨がやって来た。慌てて店先に駆け込むと、雨は路面を濡らして暑さを沈め、全てを洗い流して行った。やがて過ぎて行く雨雲の切れ間から零れる陽射しを眺め、清々しい表情になった二人の心にあったのは、忘れ掛けていた子供の頃の純粋で無垢な気持ちだった。
 世界中が様々な問題で過熱している現在、誰もが損得勘定で動いている。そして損得勘定で解決策を見出そうとし、それが更に問題を難しくしてしまっている。でも本当に大切なのは損得ではなく、純粋で無垢な気持ちを思い出すことなのだと思う。

 日々のストレスを通り雨が洗い流してくれる瞬間を描いた曲『真夏の通り雨』、下記リンクにて配信中です。

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議論する意味と目的

 あなたは連立政権と聞いて、どう感じるだろうか?直近では、この前解消された数十年に及ぶ自民党と公明党、その後即席で組まれた自民党と日本維新の会の連立など。調べると1983年末から常套手段となっているようだ。

連合政権/連立政権 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

 この現代日本の政治に欠かせないと言っていい連立政権と言う仕組み。決議で議席数を稼ぐために、主たる方針が同調できる政党同士が手を組む訳だが、これって本末転倒のように思う。
 そもそも政党が幾つも在るのは民主主義の基本であり、少数派の意見でも多数派の意見でも異なった意見をぶつけ合って議論を交わし、より多くの立場、より多くの視点を反映させながら最良の政策を打ち出す事を目的としている筈だ。それを数の力で押し切れるように他党と手を組む方法は、異論を封じ込める要素があって民主主義と呼べないのではないだろうか?そうやって行われる国会において、選挙で選ばれた少数派の政党に何の意味があるのだろうか?
 恐らくこの数の力で押し切る方法は、どうしてもその法案や予算案を通さなければならないが故に取られる手段なのだろう。本当に世の中のための法案や予算案であれば、徹底した議論が不可欠だ。それを無視するように与党が押し切ってしまうのは、結論ありきで議会が開かれているためで、その結論とは党と企業などの癒着や忖度なのだと思う。裏で交わされた取引があるために、法や予算を『そうしなければならない』から強引に押し切ってしまうのだと思う。
 前にも書いたが、今の世の中は政治が企業化してしまっている。でも本来、住み易い社会を造るのが政治の役割だ。数の力で押し切る議会では良い結論を出せるはずがない。それを可能にしている大きな要因が連立政権と言う仕組みにあると思う。この仕組みを禁止すれば、与党がどの政党になろうが、今よりマシな政治になるのではないかと思っている。

『砂漠の水』ダウンロード・ストリーミング

 このブログで何度も批判して来たが、金や権力に固執する大富豪達が社会を壊す根源に居ると思っている。トランプ大統領故・安倍首相イーロン・マスク、マーク・ザッカーバーグ、貞方邦介社長等々…。彼等のように金のためなら形振り構わない強欲さが社会の価値観を歪め、その価値観に洗脳された一部の人達が金欲しさに惨い罪を犯す。
 でも見方を変えれば、彼等のような大富豪は金としての価値しかない。もし死んでも誰も悲しまず、気にされるのは残った財産の行方だけ。家族が愛していると思っていても、その家族が愛しているのは金持ちであるが故に過ぎない。金の切れ目が縁の切れ目ってヤツだ。そしてその金を巡って争いが起こり、誰かが人生を狂わせ、誰かが命を落とす。
 こんな現代社会の構造を怒り任せに描いた曲が、この『砂漠の水』である。干上がりそうな身体で砂漠を彷徨う男が、プールサイドで砂漠を見ながら寛ぐ金持ちに怒りを募らせ、やがてその男も金のために暴力へ向かってしまう、と言う物語。
 わたくし玄太、もう歳だから熱さも無くなって来たな…と言いつつも、十数年前に書いた作品に触発されて、久振りに吠え捲っています(笑)。

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