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冒険、いたずら、友達、親…子供の頃の無垢な思い出。そして最愛の人へのプロポーズ…。ごく静かなジャズバラードです。

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『お・も・て・な・し』

他国から見た日本、この類の話が大好物だ。何が面白いかと言えば、他国の文化や常識、考え方が見えると共に、自分が日本人であるが故に気付けない日本の特徴を知ることが出来るからだ。

リンクの動画では米国人が日本のセブンイレブンを紹介している。動画の中でも言っているようにセブンイレブンアメリカから日本に来た店だ。現在は日本独自の発展をして、辺鄙な場所で店が見つからない様な時以外、その有難みを感じる事もあまりない位に当たり前の存在になっているのではないかと思う。

それが米国人の目から見ると、いつでもやっていて、何でも揃い、色々選べ、美味しく、親切で安上がり、正しく『おもてなし』であるらしい。確かに色々売ってるけど品揃えはどうかなぁ?定価販売ばかりだし安いかなぁ?と思ってしまうのだけど、それは便利さに麻痺してしまった日本人の視点のようだ。ここら辺、感謝すべきことのようだ。

海外にはないこの『おもてなし』は日本が商売上で武器に出来る部分なのだと思う。この動画の内容からすると、多分、隣り合わせに米国と日本のセブンイレブンが並んでいたら、日本の店の方に客が集まるのは間違いない。昔からある日本製の至れり尽くせりの良さがそこにある。

ただこの『おもてなし』が行き過ぎると自分の首を絞めることになる。本来『おもてなし』は自分の気持ちとしてするものであり、他人にやらせるものではない。

24時間いつでもやっていて便利なコンビニ、それが過度な負担となってオーナーとトラブルになっているのもセブンイレブンだ。『おもてなし』を企画する側と実行する側、つまりその負担を卓上計算する側と身をもって実行する側で利害感覚がズレてしまうからトラブルになるってことだ。これは管理不行き届きでしょ。企業の規模が大き過ぎて末端の感覚が全く見えなくなっているとしか思えない。

現在コロナ禍で何処も体制の変更を余儀なくされている。せっかくなので、この機会に商売を根本的に見直し、社会全体が潤うよう各企業に努力して貰いたいものだ。

 

追記~

日本の親切・丁寧を実践してくれている人達を再認識し、感謝の気持ちを忘れずに行こうと思う。

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利己主義

中国の習近平主席が香港を支配下に置こうとしている。世の中、一国一制度でも統制できていない国のトップばかりだから、一国二制度で統制を取るなんてことは無謀なのだろう。しかも近年、目に見えて存在感を増している中国だから、更に国を強大にするのに香港は目の上のたんこぶ状態なのだろう。

一方、アメリカのトランプ大統領は自分が再選するために中国を批判し、自分の失策への矛先を逸らそうとしている。世界中が批判的な目で見る香港問題を武器にし、便乗して自国から中国企業を締め出して英雄を演じようとしている。自国内で大統領権限の乱用を批判されているお前が何言ってんだ?って感じだけど、中国のやり方を誰もが酷いと思っているから、批判されることはまずない。絵に描いたようなズル賢さだ。

さて話は違うが、ここに一組の家族がいたとして、家庭の主が極端な利己主義だったとする。店員を半分脅して安く買い物をしたり、自分の家の前の公道を駐車場として使ったり、自分の小遣い欲しさに嫁や子供の衣料費をケチったり。もしそんな状態だったら、いつかその家庭が崩壊するのは目に見えている。法律上では家族でも、家族としての機能はしなくなる。夫婦仲は冷めて浮気も起こりやすくなり、子供は人を信じなくなり思いやりをなくす。これらが原因で非行や犯罪が起こることも良くある話だ。

近年、世界的に利己主義の人が国のトップになる傾向が強い。この傾向が今後、我々一般市民に、世界の日常にどんな影響を与えるのか?正直、ボクには悲観的な未来しか見えていない。

相手を想う気持ち

南米・グアテマラで、新型コロナウイルスの影響で学校に通えなかったりインターネットが普及していない地域の児童に、自作の屋台型移動教室で訪問授業を始めた先生がいると言う(下部リンク記事)。『新しい生活スタイル』の投稿で『人は人と接触するのが本来の姿だ、なんて古臭い事を言う気はない』と書いたけど、根本的には人と人の接触は大切なんだと感じさせられた。

世界的にインターネットを使った会議や授業が一般化されつつある。それに反対する気は全くないが、この記事の画像を見てインターネットって機械的なんだとつくづく感じた。

画像の女の子は、先生が訪問して来る大変さを理解していないかも知れない。でも何時かそれに気付く日が来るだろう。そこに手軽に行えるインターネットの授業では学べない重要な要素がある。先生が児童を想う気持ち、熱意、苦労や葛藤…子供達がそれに気付いた時、彼等は心豊かになるのだと思う。

これは子供に限ったことではない。インターネットを使ったやり取りは機械的で自分も機械的になりがち、誰かとメールしているのにコンピューターと会話している様な感覚に陥ってしまう。

考えてみて欲しい。もし遠くにいる恋人がいたとして、テレビ電話やメールだけで満足できるだろうか?目の前で見る細かい表情や仕草、話の間合いなどから無意識に受け取るものが無限にあるはずだ。インターネットではそこが欠けてしまう。例えテレビ電話でもカメラに向けて構えた視線はお互い微妙にズレている。こう言った要素がネット上の荒らしや誹謗中傷を拡大させてもいるのではないだろうか?

逆に、単なる手続きをしたいだけと言った時に、機械的に済ませて余計な時間や手間を省くことが出来る便利さがインターネットの強みになっている。

強みと弱点、これは利用者の使い方次第。便利グッズにも凶器にも成り、シェルターにも罠にも成り得る。とかく大人は利便性を追求しがちだけど、特に子供には気に掛けて貰う感覚(つまり愛情)が必要だ。今後、世界的にインターネットの依存度は更に高まるだろうけど、そこら辺を上手く使い分けられる大人でありたい。

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