コラ!玄太

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『うやむや』がもたらすもの

 故安倍元首相が殺害されてから大分経った。国葬に賛否両論があり、海外でも安倍氏の実績を称える人達と国葬費用に不満を持つ人達として双方が報道され、それが日本国内でも報道されていた。でもこの報道内容は間違っていたと思う。

 国葬に反対していたのは国葬費用に対してではなく、安倍氏の実績に対して国葬に値しないと感じていたからな筈だ。安倍氏に賛同する人達は安倍氏と同意見だから政策に反対する理由はない。それに対して反対意見を持つ人達は納得出来る説明を求めるのは当然の事。それを無視したり、話を逸らしたりして強行突破するのが安倍氏の手法だった。つまり反対する人を無視するような政治家は国葬をするに値しないと言うのが正しい理由だと思う。

 モリカケ問題、桜を見る会特定秘密保護法など、安倍氏は求められる説明をうやむやにする姿勢が目立っていた。それが安倍氏を殺害した犯人の頭にもあったに違いない。もし安倍氏が説明責任を果たす印象を持たれる人物だったら、犯人はいきなり殺害したりせず、まず文句を言うことを考えたのではないだろうか?何を言ってもうやむやにされると感じていたから、いきなり殺害すると言う手段を選んだのではないだろうか?決して犯人を擁護する訳ではないが、ある意味、安倍氏は自業自得だったように思う。そして、そんな安倍氏国葬に値しないと思う。

 安倍氏が亡くなった現在、岸田総理は旧統一教会との関係は本人不在だから限界があるとして調査をしていない。これももう少し上手い言い訳は考えられないのかね?もし詐欺集団に協力した可能性がある人がいて、その人が死んでしまったら捜査はしない?これでは『安倍氏と旧統一教会は関係がありました』と言っているようなもんでしょ。で、マズい展開になりそうだとなると旧統一教会締め上げ…又もや話の焦点をズラす手法。こうやって安倍氏以降続いている手法でうやむやにしてしまう。

 『うやむや』はやった側は直ぐに忘れてしまうが、やられた側は根に持つのが常。この『うやむや』を常套手段に何年も政治が行われて来たこの社会で、今後どんな社会現象がもたらされるのか、何やら逃げ場のない不安ばかりを感じている。